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文/植木 務(大島村田麦地区在住)

[2001年3月4日]

<北欧からイタリアへ?>
 欧州旅行ではありません。2月末、雪がまだ背丈以上もある田麦から、海岸べりの柏崎へ行き、数泊しました。
 前々日からの降雪で近くの峠道は最短距離ながらも山を登る道で、除雪も不完全且つ雪崩の危険もあるので、遠廻りをしてでも雪の少ないより安全な平野部、頸城柿崎経由で行きました。これは「U」字を横にした経路で倍近くの時間がかかります。
 田麦から下っていくと半時間ほどで道路脇の景色は目に見えて雪嵩が減っていきます。なんと!海沿いの国道8号線は雪が舞っていながらも、所々乾いているのです。柏崎では、日陰や除雪溜まりは別 として、全く雪が有りません。おまけに快晴の翌日、日本海の「のたりのたり」の波打ち際は、風の寒さはあるものの心地よく、陽は高く眩しく、実感「春」いっぱいです。
 全面銀世界の田麦からは直線距離で僅か30km、標高差で350mでこの変わりざまです。アルプスの北側のヨーロッパが、陽光溢れるイタリアを憧れるらしき心情を、日本のこの地で今更ながら驚きを以て体感しました。

<白鳥号、さようなら>
 大阪、青森間を結ぶ、JR特急「白鳥号」。2月の最終日を含む週末、その使命を終えて御蔵となりました。
 61年(昭和36年)誕生。爾来40年間、東北北陸と関西を結んで走り続けた特急列車です。交通 体系の進展にともなう淘汰でしょうが、なにやら中高年者のリストラに似て時の流れを思わせ、止むを得ぬ ながらも侘びしさ寂しさが残ります。
 私個人の郷愁も数々染込んだ、お世話になった特急列車です。長い間御苦労さんでした。有り難う、白鳥号。

<姉の死>
 家内のすぐ上の姉が2月25日亡くなりました。糖尿病が元で約1年前入院。最後は肺炎を併発、その21日後の事でした。6人の兄弟姉妹の中で唯だ一人郷里に留まり、家族と共に親と菩提寺を守ってきました。
 死顔は闘病中よりも静かで穏やかで安らかに眠っている様でした。しかし額と頬はひんやりと冷たく、大柄だった体つきも小さく見えて、もはや戻らぬ 他界の人となりました。
 私共もかつては関西から毎年の夏休みに3人の幼い子供達を連れて戻り、長期間お宅に滞在したものでした。お世話になりました。「いずれまた」。

<ブナの暖>
 裏山の積雪は1.5m程に減りました。
 ブナの幹の周りの雪が漏斗状に窪んで融けています。幹のぐるりに沿ってその直径ほどの開らきで穴があいています。即ち幹の3倍程の差渡しの漏斗になっています。
 一方杉の木の周りはあまり雪が融けていません。杉は樹皮が厚く触ると柔らで暖かなのですが、冬も落ちない針葉が陽光を遮って根元の雪面 が暖まらないのでしょうか。
 それに比べて、ブナは葉を落としているので下まで透けて日当たりが良いせいなのでしょうか。それとも吹き抜ける春風が幹を回ってぐるりを融かすのでしょうか。それにしては西風が強いのにも拘わらず、穴は真円に近いのです。幹は夏触ると冷たいのですが、元来は雪をも融かすほどの内面 からの「芯の暖かさ」があるのではないでしょうか。

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