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文/植木 務(上越市大島区田麦在住)

[2007年12月15日]

<田舎暮らし体験談・パート2>
 田麦通信・前号の田舎暮らし体験談のイベント名は「ふるさと回帰フェア2007(理事長:立松和平氏)」であります。
内閣官房・各省・全国知事会肝いりで今年が3年目。「ふるさと暮らしが新しいニッポンをつくる」のメッセージに和して240自治体が参加。新潟県各地、上越市、大島区も参加しました。時流を踏まえた「田舎暮らし」の勧誘、米、酒、謙信塩、ワイン、深海の幻魚、特区産のどぶろくなどの特産品販売PRも売上反応とも上々。板山町内会長・小山章喜さん、小生も地域紹介の一役を荷いました。
その記事が11月24日「日本経済新聞」に掲載され、紙面19頁「・・・実践者がアドバイス」のコラムに、この事も4行ほど載りました。
 思えば昔、国策で「食料供出・生メヨ増ヤセヨ」「徴兵・戦争・敗戦」の時代がありました。その後経済成長期の民族大移動を経て過密過疎現象が顕著になりました。このままなら10年15年後の地方の衰退は凡人でも予想できそうです。
私は、地方の崩壊は都市部瓦解の引金との危惧を抱いています。そこには一世代一行政を超えた問題があり、国策とも見えるこの「回帰フェア」の背景が伺えます。

<白川郷から飛騨高山へ>
 晩秋の旅を楽しみました。自然ガイドや畑作業がオフシーズンになり気を楽にして家内と共に出掛けました。近郷の小グループで11月の末、この時期にしては稀に見る快晴の一泊二日でした。
白川郷は標高の高い山々に囲まれ、ひと目で見渡せる盆地。高山の夜は温泉に浸った後、語って唄って踊って大層な盛り上がりでした。
 帰路がまた感動。右手彼方に純白に輝く槍ヶ岳から乗鞍岳へと一段と高い稜線が「ここから向こうが関東です」、と両手を広げて屏風立ち。それを遥かに拝みつつ飛騨高地の峪沿いをくねって下る。神岡近くを過ぎ眼前が開けると、国道の行く手の一本の道筋が波打って、富山湾まで一気に下りに下る。
 この辺は地質的にはユーラシア大陸の最先端。「中央構造線」の北側、「西南日本内帯」というらしい。そこに潜り込む太平洋プレートとの両者の軋轢で、日本列島がこの地で大きく北東にねじれ、折れ曲がる所。今なお擦れている大地の「軋む音」が聞こえる様でした。
 富山から直角に東へ曲がり、北アルプス北端の山襞が親不知・糸魚川 の日本海に沈み込む似た様な山容の突出、その幾筋もの数だけのトンネル’Sを潜り抜け、夕闇の濃くなった出発地に無事戻りました。
 満月を過ぎたばかりの明るい光に照らされた家までの道すがら、上越は「フオッサマグナの真上」なのだナー、という実感に浸りました。
   (写真は、白川郷の展望台から)

 

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