[2010年11月10日]
<フォッサマグナ/ジオパーク/体験観光>
明治 8年招聘のナウマンの命名。日本列島の地質境界、生成過程の岩盤地層の痕跡・活動が「線」でなく「面」で捉えられ、当地もその東縁地帯です(「糸魚川-
静岡構造線」は関西・関東圏の文化慣習の境目でも)。
また 2004年ユネスコ支援で設立された ジオパーク= 大地の公園は 世界77地区。膝元糸魚川市が世界認定に先立ち地域振興の起爆剤にした「明」は特筆に値します。今や全国で懸命に「地域の宝・体験観光」を競い交流人口増大・外資流入を目指しています。「わー綺麗観光」の時代は終ったのです。
(写真は、当地の「砂岩泥岩互層」。中央白帯は
400万年前の海底堆積。整然とした地層の大露呈は日本屈指?)
<まよいごころ/自分の葬式のこと 2 /参考:朝日新聞101104>
一応居を定めても家族の増加や世の流れで転居が珍しくない時代でした。特に阪神の震災罹災時には短期に4度の移転を余儀なくされ、結局今の「田麦」は11回目の転居先になります。私の心の深層には「根なし草」の情念が澱んでいます。
肉体と霊魂の不離一体が「生」との実感はあります。「死」は肉体からの霊魂離脱ならば、その時点で肉体は「亡骸」「土の器」= これも理屈では解ります。体験から、死の直後は生の姿があまりにも歴然と留まっており記憶情感が持続し、眼前の現実を腑におとすには「時間・儀式」が必要なことも解ります。