[2001年1月18日]
<恩寵の回顧>
1/17、「阪神淡路大震災の日」。6年前の事です。
これを契機として私共の生活は大きく変わりました。今振り返るとこの数年間は我が生涯でも希な激変の数年間に当たるのでしょう。その頃頻りに、今日と同じ明日が必ず来るとは限らない、至近の「断絶」を感じていました。しかしあの渦中にも拘わらず「家族」は幸いに皆無事でした。
私共は当時神戸の隣の芦屋市に居りましたが、定年後の将来設計として、奇しくも「震災」の直前に、自然の美しい「田麦の家」を購入しました。その直後の地震で芦屋の高速道路が横転した所からそう遠くない私共のマンションは「半壊」しました。翌日から避難の生活が始まりました。小学校の教室、壊れたままのマンション、会社のクラブの一室、大阪の借上げ社宅、と短い間に住居は転々としました。しかし定年までの2年半の今が凌げたら、その後は「田麦の家」が有るという寄り頼みが、被災の苦難の中でも安らぎと励みの源泉でありました。
今「田麦の家」の床の間には、偶々ありきたりの壺が飾ってあります。思えば、それには「表と裏」があります。何事も表裏は一体であることを識らない訳ではありませんが、表を見ずに裏ばかりを見ている事は不自然であります。
震災で多くの被災者と同様に私共も「家と蓄え」とを失いました。しかし「裏」ばかりでなく「表」を見れば、僥倖にも私共には行き場として、事前に田麦の「雪と緑」の新天地を恵まれました。それゆえ私にはここは天与の「約束の地」であるという思い入れがあるのです。
<苦は苦、美は美>
入村以来最初の豪雪です。昨年までの雪は多くても2.5m。まあ予想の範囲内でした。今年は56豪雪(電線を跨いだり、くぐったりした様です)以来の降りっぷり」だそうです。積雪量
はその時の比ではないものの、こう何日も降り続くのは、それ以来だそうです。
でも雪景色は「美しい」のです。こう云うと「お前は馬鹿か」と云われそうです。でも生活を離れて、外の人として、対象としてこれを見ると、やっぱり雪景色は「美しい」のです。シンシンと音もなく無心に降り続く雪を見ていると心が静まります。白と黒だけの色なき明暗も、手前は濃く遠くは次第に薄れ、正に墨絵の一幅です。
快晴の日には実に素晴らしい別世界が現れます。標高の高い田麦から遥かに臨む妙高(2400mほど)連峰の輝きは天国の気高さもかくの如きかと想わせんばかりの神々しさです。紺碧の空を背景に、木々に積もった真っ白の雪は、桜の満開に劣らぬ
絶景です。
かような絵巻を雪の無い地の愛する人々に是非見せてやりたい、自分達だけで見ているのは勿体ないという気に誰もがさせられる美しさがあります。
<ホワイター ザン スノー>
「雪よりも白く」、と訳すのでしょうか。
純白の雪を見ると、いつも想い出す聖書の句があります。旧約聖書、詩篇第51篇の一部です。
ヒソプをもってわたしを清めてください、わたしは清くなるでしょう。
わたしを洗ってください、わたしは雪よりも白くなるでしょう。
わたしに喜びと楽しみとを満たし、
あなたが砕いた骨を喜ばせてください。
み顔をわたしの罪から隠し、わたしの不義をことごとくぬぐい去ってください。
神よ、わたしのために清い心をつくり、
わたしのうちに新しい、正しい霊を与えてください。