[2004年11月1日]
<地震・その後>
「04年新潟県中越地震・041023/17:56」に続き、お気遣いへの感謝を込め、その後をご報告致します。
1) あの日・23日は県と集落共同のイヴェント日でした。6時pm開始予定、15名弱のほぼ全員集合。
そこへの「地震」。村営の「庄屋の家」でした。
「茅葺・一棟・60坪?」が「ギシギシ」と音を立てて揺れました。
2) 県内各地からの参集者は、揺れが収まるや、家や事務所や役場に携帯連絡。私も我が家へ夜道を急ぎ、
家内と家の無事を確認し、 会場に戻りました。
3) その時の不都合者は帰宅。予期せぬ強い余震の中で会は開催続行。
翌日の「田麦ブナ公園研修・散策会」は、規模と時間を大幅縮小して実行。
4) 週明け直後の決議でしょう、大島村は被災地支援として、最寄の「十日町」に
「にぎりめし」・毎日・600食・10/27-11/07 を、村内全集落の協働で、
実行を始めていました。
5) 28日、田麦を含む地区会議で、他の審議に先立ち、「十日町」支援を議決。
11/01・02 の 2日間 (ボランテアの多い土日を避けて)。
6) 先方要望=「熱い汁物」、を受けて 「豚汁」・500人分・昼と夜の二回。
当地での後方支援15名、現地派遣隊15名。
人員、食材、調味料、食器、箸、水、鍋、窯、薪、車 ・・全て自前調達。
7) 区長通達を受けて、私と家内も両日のボランテア参加を申し込みました。
8) 事態静穏化により、「十日町市当局」は、10/31昼・避難警告?を解除。
十日町の多くの市民は避難場所から自宅へ帰還できる事になりました。
9) その夜、大島村は全戸への防災無線で、十日町市からの「謝辞」と共に、
大島村の 11/01以降の被災地支援活動の中止が放送されました。
10) よって、田麦・当地区のボランテア支援も、直前で中止となりました。
11) 隣接の「柏崎市」はかなりの、道路・塀・家屋・家財・墓・・の被害あり。
12) 両隣の「町」では、家屋崩壊、避難所避難・・があったそうです。
13) 出席予定の幾つかの公的行事も地震余震の影響で中止になりました。
14) でも、「田麦」での大被害は聞いていません。余震も減っています。
御気遣いを感謝致し、ご報告申し上げます。